僕を捨てる旅路

日本の社会で、ある日生き詰った自分。

英語0のままオーストラリアへ

はい、ちょっと後悔しました。


なんで、先に勉強しとかなかったのかと...


格安の中国航空会社の機内。
国内線にも乗り慣れてない自分は、アナウンスが
なんて言っているのか、まったく分からない。


機内食を聞かれた。
「meat or fish?」(肉か魚か?)
中学校の英語の授業でこう習った気がするのに、実際は多分料理の名前を2,3個聞かれた。
「first one, please」(最初のやつ下さい)


唯一、3秒後に言い返せたのが、これだ。
実際、機内食なんて滅多に食べないからすごい期待してたものの、
たいして美味しくもなく、何を食べたのかも分からなかった。肉料理だったような気はするが…


なんてったって、頭の中ではパニックだったから。


「やばい!!!」


現金10万円を持ってきた他、どう考えてもそれ以外の金はない。
帰りの航空券さえないのだ。
この英語力で、生きていけるんだろうか...


実は、結構人生に投げやりになっていた自分は、一足先にワーホリに飛んだはずの旅人の彼女に聞く勇気もなく、最初の目的地もなんとなくのイメージで「メルボルン」を選んだ程度。


なんと、初日の宿泊先も決めてなかったのだが、愛ある友人が出発前日に訪ねてきて、
「それは、バカでしょ」って、バックパッカー探してくれて、なんとか前日に予約していた。
その友達を今は「神様」とでも呼びたい。


唯一の頼りは、中古2000円で購入した、CASIOの電子辞書。
なぜ2000円という破格だったんだろうと思うくらい、立派なやつで、今のとこ異常なし。


絶望感の中、飛行機はおかまいなしに時速300キロで飛んでいく。


あー、もう人生どうでもいいやなんて思ってたのに、完全に不安から解き放つこともできない自分の意気地なしに、もう笑いも出ない。


どうなる、この先...





自分の性...

僕は、その子に気持ちを伝えることなんて出来なかった。


なぜなら、僕は女の子だから。



幼い頃から心の中は男の子で、でも身体は女の子。


でも、自分も周りもそうは思わず、はたから見れば、結構容姿は悪くない小柄の女の子。


ずっとモヤモヤしてた。生理も中学生終わりころ始まったものの、だんだん頻度は減っていき、大学の頃は完全に止まってしまった。


それでも子宮が縮小してると医者にいわれ、いやいやホルモン剤にで、生理を促した。


自分の体格は少し丸みを帯びた。太ったわけではないが、少し胸が出て、角ばっていた身体に少し丸みがでてきて、


ショックだった。
カッコイイ自分になりたかったのに。
薬のせいで、かけ離れていく、現実と理想



自分ってなんだろう。



ずっと思っていた。



田舎でカウンセリングをしてくれた先生(これから、きっとちょいちょい出てくる彼女を、ここではT師匠と呼ぼうかな。先生である以上に、今では人生の師匠だから)は言った。
「それで、誰が困るの?」



T師匠は厳しい方だった(笑)
ある時は友達、ある時は親代わり、あるときはカウンセラー。
そんな人だったから、自分の一番近いところから、いつも一番必要な言葉をくれた。


いまでも、感謝、尊敬しているT師匠、お元気ですか?

社会人 失格

5年前のことです。


自分はストレスに、負けました。
周りのプレッシャーに、負けました。
仕事はいつも一生懸命やっていて、なんとか認められる生活はしていたんだよ。


でも、自分に無理させすぎて、
ある日不眠症になりました。


1年間薬を飲み続け、副作用で夜中に夢遊病のように暴食したり、薬をやめようとして精神的に更に病んだり。医者に鬱だと言われました。


僕は、知ってる人のいない田舎に移りました。
自然豊かで、のんびりした日々は自分に向いていると思った。


農家さんや町の飲食店を手伝ったり、マーケットに参加して色々売ってみたり。




そして、ある日、一人の女の子に恋をした。
その子は旅人で、楽器を片手に、畑仕事したり、かなり自由な子だった。


旅人って、いいな


そう思っていた矢先、その子は「私、オーストラリアにワーホリ行く」
そういって、あっという間に旅立ってしまった。


その頃、知り合いのカウンセラーと住食をともにしていた私は
不眠症の薬からようやく抜け出せた頃で、
貯金額ほぼ0だった自分は、保険の掛け金に手を出して、オーストラリアへの片道切符とワーホリのビザを何とか手にいれ、海を渡ったのでした。



その後の話は、またボチボチと...


読んでいただいて、ありがとうございました。